私なりきの潜在意識(自分)との体話

 

 

前にもここに書いたかもしれないけど、

私は時々自分に話しかける。

なにそれ!気持ち悪っ! と思うかもしれないが、これが結構おすすめなので聞いていただきたい。

おそらく今から話すことは「〇〇法」とか「なんたらかんたら」とか

名前のつくようなメソッド的なものなのかもしれないが、

そういったものを人から教わる気が全くないので完全に自己流。

ある日突然編み出した自分なりのただの習慣だ。

これをやるのは大体氣功治療するときに

相手方と接触したときとかですね

話しかける時は一度深く呼吸をする。

心が凪いでいる状態をなるべく作ってからスタート。

こんにちは、とか、久しぶり、とかきちんと挨拶をする。

そうすると同じようなセリフが返ってくる。

返ってくる、って、そりゃおまえのさじ加減次第じゃないか、と

思われるかもしれないが、ここで重要なのは間髪入れずに返ってくるようにすることだ。

はじめの「こんにちは」は自分の顕在意識が発しているが、

そのあとの「こんにちは」は何か別のものが発してくれる状態を作る。

そこには自分の思考を一切いれない。

こうしてから何かを問う。

そもそもこれが始まったきっかけは自分自身について悩んでいる時とかじゃなくて、

もっと漠然としたそれこそ哲学的な何かを考えている時だったと思う。

考えても考えてもよくわからないことを、いったん頭をまっさらにしてふと

きちんと文章にして問いてみた。

すると自分の考えや言葉とはまったくちがう答えが突然聞こえてきた。

おお、なにその答え。

私は驚き一人興奮した。

その答えは自分の中でとても納得できるものだったけど、

でもそんなふうに自分で考えたことは一度もなかったからだ。

 

それ以来、何かあるごとにそんな風に自分に問いかけた。

やっていくうちに、ちゃんとできる時と、

「ああこれは自分で考えて答えてしまっているな」という時の違いもわかるようになった。

いや、違っているのかどうかも自分の中の判断基準だからよくわからないのだけど。

例えば私が進みたいと思っている方向性について正しいか聞いた時、

「それ」はNOと答える時がある。

なぜダメなのかスラスラッと言葉が続く。

そんなこと言わないでよ〜、と受け入れられない時もある。

でも結局その声が正しいことを心のどこかでは自覚している。

私ははじめの頃その声のことをふざけて「神様」と呼んでいたが、

今はそれが自分の潜在意識とか細胞とかの声だと認識している。

そしてそれは夜に見る「夢」と同様のもののような気がしている。

私たちは、おそらく私たちが思っている以上にいろんなことがわかっているのだと思う。

それをわからなくさせているのが、もしかしたら私たちが “それがあるおかげでわかっている” と

感じる器官なのかもしれない。

それは「目」だったり、「鼻」だったり、「脳・顕在意識」だったり。

見えなくなった途端わかることがあるのかもしれない。

嗅げなくなった途端わかることがあるのかもしれない。

そして意識を消した途端わかることがあるのだ、きっと。

それは「本能」と呼び替えてもいい。

危険を察知する能力、遠くのものと呼応する能力。

いつからか忘れてしまったのかもしれない元々きっと持っていた能力。

私が一人で自分に問いかけることは、

そんな「本当はいろんなことを知っているもう一人の私」との対話、なのだ。

私はもう一人の私=潜在する意識・能力・身体・細胞を心から信頼している。

なんだか怪しい話に聞こえるが、こんな例えならどうだろう。

熱があるかどうか考えてもわからないけど、体温計で測ったらわかる、そんな感じ。

いや、違うか?うん、そうか?

まあとにかく何か悩んだりした時に、他人に話したり占いしたりもいいけど、

一度自分と話してみると案外いい案が浮かんでくるかもよ、というお話。

だって自分のことを一番知っていて、一番考えていて、一番愛しているのは自分なのだから。

ここまで書いて思ったけど、これってもしかしたら合わない人には合わないものかもしれない。

意識分裂しちゃったり、現実との境界線わからなくなったりする可能性もあるな。

というわけで最初におすすめと書いたけど、やっぱりおすすめはしません。

あくまで自己責任でお願いしますね。

って、誰もやらないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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