無事是貴人(ぶじこれきにん)
■無事是貴人(ぶじこれきにん)
私たちは常に、外に幸せや救いを求めながら生きています。
「この会社でなければ自分は評価されるのに」「もっとお金があれば幸せになれるのに」。
こうした不平不満の原因を外に向け、安心や幸福をいつまでもウロウロと探し歩いているのです。
何処へ行っても私の腰痛は治らない、だから先生治してと言ってくる…そして、治らなかったら、他の治療院にいって、又同じことを言う。
しかし、そんな人間でも「人は生まれながらに仏様の性質を持っている」と言われています。それが無事是貴人です。無事とは、様子伺いで使う「ご無事」とは違い、何もしないことを示唆した言葉です。
作為をせず、あるがままでも人はすべてのものが備わっているので、なにもしなくてよいのだよ、という意味です。
そう、もし或る日ある時間に腰が痛いと感じても、病院に行って検査してもらい、仮に「異常なし」と言われても、異常ないのだからなにもしなくとも生まれながらに仏様の性質があるのですから自然に治るのです。
そうです。何もしなくていいの?・・・と驚くかもしれませんが、外に向けて騒がず、一切の欲や妄想を捨てて、自分がなすべきことをすることこそ、心は正常平穏な状態になれるのです。
わがままや怒りっぽさ、涙もろさ、自分を過小評価するあなた。あなたには自分のなかにいろいろなあなたがいるのです。
そんな自分の中にいるも一人の「あなた」を愛することこそ自分自身を真から愛することなのです。